おらほのおのまち(東松島市小野)

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功岳寺さんの歴史

 

小野まちのお寺、功岳寺の歴史について。

以下、鳴瀬町史より

寺院名:功岳寺
本尊:聖観世音菩薩
本寺:仙台市新寺小寺 松音寺
末寺:鳴瀬町浜市 海朝山津竜院
〃:鳴瀬町根古 西光山松岩寺 } 本寺功岳寺に合併
〃:河南町北村 大日山林香院 }本寺功岳寺に合併
建物:山門・本堂開山兼位牌堂・庫裡薬師堂
境内:三千坪
墓地:六千坪
山林:七畝歩
著名:鶯松 傘松 隆泉の池
   鎌倉権五郎景政(正)の位牌
   伊東肥前重綱の位牌
   重綱・重義の墓碑
   天保八年の供養碑 昭和四十三年三月鳴瀬川畔より移転
由来:当寺の開闢は大同年中と伝ふ天台宗なり旧隆泉寺と号し現在の矢本町大塩大窪字門前の地にあったと いう。
今も地名門前という。文治五年永江太郎義景頼朝公より桃生深谷の荘を賜わり小野城に住す。曽祖父 鎌倉権五郎景政(正)の菩提を弔う為現在の地に移転し法名を 隆泉寺殿興英法公大居士と追諡(おくり名) した。
以後寛永十八年伊東氏小野本郷の領主となる。当寺の檀家となる。伊東肥前重綱正保元年没するに及んで法名を功岳寺殿秀峯道忠居士となす。その後伊東家に於いて寺号と法名の合一を計りその間種々の事情があり寺号改称すると雖も隆泉を捨てず、寛文三年十二月二十一日隆泉功岳寺と改む。天保二年山火の為、伽藍焼失し、わずかに伊東鎌倉権五郎景政と伊東肥前重綱の二位牌と祈禱の額面及び前机の四品を残し今に存す。
大正八年本堂再建。昭和十三年開山堂兼位牌堂新築。昭和三十二年庫裡改築伽藍整い、昭和五十七年本堂落慶




疑問?

功岳寺さんは曹洞宗ですが、曹洞宗が東北に多いと思ったことがないでしょうか?。
その回答になりそうな解説が、下記の曹洞宗のホームページサイトにありました。

すなわち、鎌倉末期から室町時代にかけては、臨済宗が鎌倉や京都に最高の寺格を有する5ヶ寺を定めて順位をつけた五山十刹(ごさんじっせつ)の制をしき、五山文学を中心とする禅宗文化を大いに発展させましたが、曹洞宗はこうした中央の政治権力との結びつきをさけ、地方の民衆の中にとけこんで、民衆の素朴な悩みにこたえ、地道な布教活動を続けていきました。