おらほのおのまち(東松島市小野)

東北、宮城県、東松島市の小野について情報発信しています。

鳴瀬川は ただの川?歴史の川です

船形山に源を発し北に流れ、漆沢ダムを経て、概ね東に流路を変える。中流域では大崎平野の南部を流れ、北側を並行して流れる北上川水系江合川(荒雄川)と共に、宮城県北部の穀倉地帯を成す。美里町東部から徐々に南東に転じ、支流の吉田川と平行して流れ、東松島市浜市と東松島市野蒜の境界から石巻湾に注ぐ。(出典:Wikipedia

この鳴瀬川流域は、江戸時代に、本石米(※下記解説)の舟輸送が栄えたところ。明治時代になると、直轄の事業で 河口の野蒜築港を核として、北上川阿武隈川を、東名運河・北上運河、貞山運河で繋がりました。しかし、河口の野蒜築港は。幻に終わる、壮大なドラマがありました。下記ホームページに解説がありますが、このサイトでも近々公開いたします。
参考:野蒜築港ファンクラブ ホームページ http://www.geocities.jp/nobiru_fc/

※本石米とは、
宮城・仙台は古くから米の産地として知られています。仙台の米は、江戸時代から「本石米(ほんごくまい)といわれて、100万都市・江戸の人々の食生活を支えてきました。
仙台藩では領主・伊達政宗の頃から藩で米を買い上げて、石巻港を中心に荒浜、塩釜などの積み出し港から、船で江戸・隅田川東岸の深川まで米を運んでいました。深川のほとりには各藩の米蔵(こめぐら)が立ち並び、仙台藩米蔵はその中で最大規模を誇るものでした。仙台の米は、江戸の米相場(こめそうば)を左右するほど影響力がありました。(出典:七十七銀行金融資料館)