おらほのおのまち(東松島市小野)

東北、宮城県、東松島市の小野について情報発信しています。

ミヤネ屋が小野駅に

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陸前小野駅と言えば、震災以降は、人形のおのくんが有名になっていますが、今日、12月12日小野駅前に読売テレビのミヤネ屋の取材班が来て、生放送されました。

内容は、おのくんや、偽物おのくんを高額でオークションやフリーマーケットに転売している人がいるという迷惑なお話でした。
とはいえ、これだけ、おのくんが有名になったのは、TV・インターネットのおかげであるし、近年、おのまちの奇跡だと思います。

悪夢の311 東日本大震災

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今年もやって来ました。あれから8年目の3月11日です。今年は雨、8年前も天気が悪く寒く、雪もちらちら降っていました。

下の写真は。鳴瀬川と並行に流れている、(今の)吉田川です。
震災直後には、津波で流されて来た車がたくさん打ち上げられ、まさに悪夢でした。

怖くて写真も撮れる状況ではありませんでした。もう、あのようなことが起きないことを祈ると共に、災害に備える事を継承して行きたいと思います。

最近の出来事として、忘れていけないのは、東日本大震災津波被害を受けたことです。鳴瀬川小野歩道橋前には、記憶に残すプレートが設置されています。

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ここ鳴瀬川、河口付近では津波が約8mもありました。怖いです

小野地区市民運動会(2018年)

10月28日晴天の下、小学校校庭で開催されました。写真は、城内町内のチームです。

未就学児の徒競走です。

上区自治会会長さんの閉会の挨拶

運動会後に懇親会が、各チーム毎に開催されました。写真は、同じ、城内町内会チーム。今年は天気が良いので、久々に屋外です。

功岳寺さんの歴史

 

小野まちのお寺、功岳寺の歴史について。

以下、鳴瀬町史より

寺院名:功岳寺
本尊:聖観世音菩薩
本寺:仙台市新寺小寺 松音寺
末寺:鳴瀬町浜市 海朝山津竜院
〃:鳴瀬町根古 西光山松岩寺 } 本寺功岳寺に合併
〃:河南町北村 大日山林香院 }本寺功岳寺に合併
建物:山門・本堂開山兼位牌堂・庫裡薬師堂
境内:三千坪
墓地:六千坪
山林:七畝歩
著名:鶯松 傘松 隆泉の池
   鎌倉権五郎景政(正)の位牌
   伊東肥前重綱の位牌
   重綱・重義の墓碑
   天保八年の供養碑 昭和四十三年三月鳴瀬川畔より移転
由来:当寺の開闢は大同年中と伝ふ天台宗なり旧隆泉寺と号し現在の矢本町大塩大窪字門前の地にあったと いう。
今も地名門前という。文治五年永江太郎義景頼朝公より桃生深谷の荘を賜わり小野城に住す。曽祖父 鎌倉権五郎景政(正)の菩提を弔う為現在の地に移転し法名を 隆泉寺殿興英法公大居士と追諡(おくり名) した。
以後寛永十八年伊東氏小野本郷の領主となる。当寺の檀家となる。伊東肥前重綱正保元年没するに及んで法名を功岳寺殿秀峯道忠居士となす。その後伊東家に於いて寺号と法名の合一を計りその間種々の事情があり寺号改称すると雖も隆泉を捨てず、寛文三年十二月二十一日隆泉功岳寺と改む。天保二年山火の為、伽藍焼失し、わずかに伊東鎌倉権五郎景政と伊東肥前重綱の二位牌と祈禱の額面及び前机の四品を残し今に存す。
大正八年本堂再建。昭和十三年開山堂兼位牌堂新築。昭和三十二年庫裡改築伽藍整い、昭和五十七年本堂落慶




疑問?

功岳寺さんは曹洞宗ですが、曹洞宗が東北に多いと思ったことがないでしょうか?。
その回答になりそうな解説が、下記の曹洞宗のホームページサイトにありました。

すなわち、鎌倉末期から室町時代にかけては、臨済宗が鎌倉や京都に最高の寺格を有する5ヶ寺を定めて順位をつけた五山十刹(ごさんじっせつ)の制をしき、五山文学を中心とする禅宗文化を大いに発展させましたが、曹洞宗はこうした中央の政治権力との結びつきをさけ、地方の民衆の中にとけこんで、民衆の素朴な悩みにこたえ、地道な布教活動を続けていきました。

 

小野まちの方言について おしょーすい?

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東北弁、仙台弁の方言と同じ分類になりますが、ここ小野まちの方言をベストテンにしました。(年配の方のことばを、筆者が独自に順位付けしたものです。)
  順位 :  小野の方言 :  標準語   の順

  • 1位:  おしょーすい : はずかしい
  • 2位:  ごみなげでけろ:ごみを捨てて下さい
  • 3位:  いずい: しっくりこない
  • 4位:  たまげだー  :おどろいた。
  • 5位:  まつぽい   :まぶしい
  • 6位:  ごしぱらげる :腹が立つ
  • 7位:  しばれるごだ :冷えるねー
  • 8位:  ししゃます  :手におえない
  • 9位:  なじょする? :どのようにする? 
  • 10位:  なにすー   :なんて言った?

小野に城が3つあった 梅ヶ森、桜ヶ森、松ヶ森

 

鎌倉時代から、ここ小野には、城が3つあったそうです。梅ヶ森館(通称:お館山)、桜ヶ森館、松ヶ森館 です。お館山自然公園からは、小野のまちが一望出来ます。いかに要所だったか想像が出来ます。

お館山公園(梅ヶ森館跡)

参考文献のサイトhttp://www.hb.pei.jp/shiro/mutsu/ono-umegamori-jyo/

桜ヶ森館跡

松ヶ森館跡

根古方面に行くところの山

2018年動画集

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YouTubeより

2018年 東松島まつり(航空祭前日)ブルーインパルス   浜市地区から撮影

2018年 鳴瀬流灯花火大会

鳴瀬川の川面を彩る無数の流灯の美しさと、夜空に咲くダイナミックな花火です。 送り盆の伝統行事として継承されてきた地元のお祭り。今年は第96回、 
今年の8月16日花火大会の様子です。(筆者がYouTubeに投稿)

2019年 お館山まつり

2012年 お舘山まつり

城内地区のお祭り

公共施設:市役所、学校、など

小野まちにある公共施設(市役所鳴瀬庁舎、学校、幼稚園,郵便局、学習等施設)の紹介です。

市役所 鳴瀬庁舎

市民センター・小野学習等

小野学習等(旧小野公民館)

鳴瀬桜華小学校

現在、新しい桜華小学校の敷地が造成中です。

  • 鳴瀬桜華小学校(旧小野小)新校舎は鳴瀬支所付近に建築工事中です。まだ、道路を作り、山を崩したりして、敷地の整備から始まっています。

鳴瀬未来中学校の跡地

  • 旧鳴瀬未来中学校(鳴瀬一中)の旧建物です。新校舎は 野蒜地区 に移転しました。

旧未来中学校から桜華小学校方面を見る

鳴瀬幼稚園

鳴瀬郵便局

画像

小野のストリート

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旧国道45号線、今は県道150号線です。 
県道150号線を仙台方面を見る(かつて、国道45号線がありメインストリートでした。)
城内のストリート、江戸時代、城下町で小野城に向かう通りです
現在の国道45号線、上り車線、仙台方面を見る。右折すると県道150号線の小野町
旧未来中学校から見た通称”旧道”

 

家庭菜園に蛍が!!

いた

今週の初め、筆者の菜園で きゅうりの葉っぱに虫を見つけました。
もしかして、蛍?、ネットでその虫の写真を照合してみると、やはり蛍でした。
蛍はきれいな水辺にいると思っていたのに。。今週 雨が多く、水たまりがあったのでしょうか?。夕方の明るい時間だったので、光ってなくて残念でした。

筆者の家庭菜園の成果(おまけ)

三浦家の先祖の話

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江戸・明治時代の先祖の墓標は、小野の青木山にありましたが、昭和63年の(功岳寺の)三浦家の墓建て替え時に、これらの墓標を山から三浦家の墓地に移動し供養しました。その祖先をよく知らないまま本日に至っていましたが、今年のお盆にその墓標を清掃したところ、刻印文字が読める事が分かったため、インターネットと母の記憶などから、改めて先祖を調べてみました。その結果、先祖と先祖が生きた時代が少しだけ見えて来ましたので、ここに記録して行きます。

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鳴瀬川は ただの川?歴史の川です

船形山に源を発し北に流れ、漆沢ダムを経て、概ね東に流路を変える。中流域では大崎平野の南部を流れ、北側を並行して流れる北上川水系江合川(荒雄川)と共に、宮城県北部の穀倉地帯を成す。美里町東部から徐々に南東に転じ、支流の吉田川と平行して流れ、東松島市浜市と東松島市野蒜の境界から石巻湾に注ぐ。(出典:Wikipedia

この鳴瀬川流域は、江戸時代に、本石米(※下記解説)の舟輸送が栄えたところ。明治時代になると、直轄の事業で 河口の野蒜築港を核として、北上川阿武隈川を、東名運河・北上運河、貞山運河で繋がりました。しかし、河口の野蒜築港は。幻に終わる、壮大なドラマがありました。下記ホームページに解説がありますが、このサイトでも近々公開いたします。
参考:野蒜築港ファンクラブ ホームページ http://www.geocities.jp/nobiru_fc/

※本石米とは、
宮城・仙台は古くから米の産地として知られています。仙台の米は、江戸時代から「本石米(ほんごくまい)といわれて、100万都市・江戸の人々の食生活を支えてきました。
仙台藩では領主・伊達政宗の頃から藩で米を買い上げて、石巻港を中心に荒浜、塩釜などの積み出し港から、船で江戸・隅田川東岸の深川まで米を運んでいました。深川のほとりには各藩の米蔵(こめぐら)が立ち並び、仙台藩米蔵はその中で最大規模を誇るものでした。仙台の米は、江戸の米相場(こめそうば)を左右するほど影響力がありました。(出典:七十七銀行金融資料館)

殿、利息でござる    Youtubeで見ました。羽生結弦くんも出ています。

  

殿、利息でござる! - YouTube

2016/10/05 - アップロード元: 殿、利息でござる!
中でもさびれ果てた小さな宿場町・吉岡宿では、破産と夜逃げが相次いでいた。町の将来を心配する十三郎は、知恵者の篤平治から宿 ...
 
 地元の話なので、2年前の公開映画ですが、ようやく見れました。
知恵者 篤平治の小さな思い付きが、賛同する出資者を増やし、貧困の宿場町を救う話。実話であるが、ラストがあっさりしていた感じはしました。
つまり、最後の最後に問題が発生。仙台藩で鋳銭の事業が始まり、銭の価値が下がり、金貨にして1000両で上納する要求には、さらに出資が必要になった。そこに、鋳銭場の事業を始めた、豪商 三浦屋惣右衛門が出て来るのである。彼の出資が無くしては、宿場町を救えなかったのである。
 
ここからが、本題です!!。
その、三浦屋惣右衛門の子孫と思われる??墓石が、我が家のお墓の奥にあります。繋がりの有無があるか、もっか勉強中です。では、また。

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小野本郷とは?

小野の歴史がわかる、道しるべが複数あります。この地域は、明治初期まで、深谷の”小野本郷”と呼ばれていました。本郷という地名は全国各地ありますが、平安時代以降に、早くから人が集まり政治的・経済的・流通的なセンター機能 を持った場所に付いた地名だそうです。

今のような道路や橋がなかった時代、本町周辺は、鳴瀬川渡し船の舟渡町(ふなどまち)として栄えていたことを本郷という名からも想像が付きます。

本町の今宮商店さんから左に曲がり土手に向かう階段の左にあります
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花火大会の考察、花火の裏面から見る方法があった。発見!!

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夏の風物詩として、花火大会があります。ここ地元でも、昨日、花火大会がありましたが、花火の観覧方法で面白い事を発見しました。

つまり、花火は、大勢の観客が見る正面側からと、丁度180度反対側(裏面側)から見る方法があることを。

 

正面側からの場所は、大体、観客で混雑しています。

裏面側からの場所は、打ち上げ花火の解説放送が聞こえないデメリットはありますが、一般に観客が空いているため、ゆっくり見れます。

違いは、当然、花火の絵は、左右逆に見えますが。
(開催場所によっては、裏面側のスペースも混雑しているかも知れませんが。私の地元は、裏面側からはガラガラで、穴場でした。)

 

YouTubeにアップした、正面側から 裏面側から 見た花火の例をご覧ください。

正面から見る 2013年の花火大会 

www.youtube.com

 

 

裏面から見る 今年2018年の花火大会

www.youtube.com

 

世の中、裏面から見るのも、いいものですねぇ!。